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17年目の乳房再建

17年目の乳房再建

乳癌になって

乳癌の手術を受けたのは平成3年3月 39歳の時でした。
年がわかっちゃいますね(*´ェ`*)現在55歳

平成3年をさかのぼること6年前(昭和60年)に父を肺癌で亡くしています
そしてその年に母が乳癌に
平成2年の冬 母は6年目で乳癌を再発
骨 肺 脳 眼へと転移して平成3年 お正月あけに入院
母の誕生日 3月19日まではもたないだろうとの話でした

2月に真ん中の娘(子供は男女男の3人)の中学受験を控えて、病院と家を往復する毎日

いつも生理の後に自己流だけれど乳房を触っていました
1月の生理が終わったとき・・ ン? なんだかあるような?ないような?
気になりだすと凄く気になる。
そこで 母のインフォームドコンセントの時に先生に打ち明けました
先生の顔色が変わり 即検査! 2週間後の答えは乳癌
呆然とするままに 
母の看病 娘の受験と なんだか黙々とこなしていたのを覚えています。
泣いたのは一度。病名を告げられた時に部屋から出て 顔見知りの看護婦さんに声をかけられたときでした。

母には私が同じ病院に入院してから事実を伝えました。
そしたら!なんと 歩けなかった母が歩けるようになり元気を取り戻してくれたのです。
心の力 母の力とは大きなものだと感心するばかりでした。
手術前、病院の広くて寒い浴室でお風呂に入って触った左胸は残せなかった。

幸い 娘は志望校に合格をしました。
娘の小学校の卒業式は手術後2日でベッドの中。
入学式は特別外出を許されて出席しました。

その後 ホルモン治療と放射線治療を行いました。
そして 母と一緒に退院!
今思えば 母のことがあったからでしょうか
胸の喪失感などあまり感じることもなく、おそらく周りの人が思うような不安も苦しみも無かったように思います。
両親の闘病を見ていて、なるようにしかならないのだから、出来ることをやろうと心の学習ができていたようです。

母はその年の9月30日に他界しました。

病気といっても自分では自覚の無いままでしたので
むしろ手術を経験してと言う方が正しい表現のような気がしますが
心の持ちようは大きく変わったように思います

○本音と建前を使いわけることをしなくなった
   開き直ったと言うか自然に生きるのが一番と本気で思えるようになった
○自然の花や緑や海が数倍綺麗に見えるようになった
○子離れ 自立が早かった
   私は子供の成長を見届けられないと思っていたので
   母親として気になることは言うけれど、それを聞いても
   自分で決めて生きて欲しい。親のために生きることは必要が無い。
   あなたの人生なのだから。その代わり全ては自分の責任になる。
   と 3人並べて話をしました。

いやぁ 随分と勝手な親だったと今になれば思いますが
結果良かったように思います
当事 一番下は小学校1年生でしたから 解らなかったとは思うけれど
親の気迫のようなものは 伝わったように思えました。

と言うわけで 
この経験は私にも子供にも良い結果をもたらしてくれたと思えています。


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